collection of different Japanese texts. search for HHHH to see each title. HHHH--------------------------------------------------- jp Wikipedia article on computer, 6754 characters コンピュータ(英: computer)は、主にトランジスタを含む電子回路を応用し、数値計算、情報処理、データ処理、文書作成、動画編集、遊戯など、複雑な(広義の)計算を高速・大量におこなうことを目的として開発された機械である。単にコンピュータと言った場合、一般的には、プログラム内蔵方式のデジタルコンピュータの中でも、特にパーソナルコンピュータや、メインフレーム、スーパーコンピュータなどを含めた汎用的なシステムを指す。 コンピュータ Acer Aspire 8920 Gemstone.jpgDM IBM S360.jpgColumbia Supercomputer - NASA Advanced Supercomputing Facility.jpgIntertec Superbrain.jpg Dell PowerEdge Servers.jpg2010-01-26-technikkrempel-by-RalfR-05.jpgThinking Machines Connection Machine CM-5 Frostburg 2.jpgG5 supplying Wikipedia via Gigabit at the Lange Nacht der Wissenschaften 2006 in Dresden.JPG 目次 呼称 「コンピュータ」や「コンピューター」の呼称が日本では多く使われている[1]が、法用語では「電子計算機()」という表現が刑法や著作権法等で用いられている(これは英語では、単に computer ではなく「electronic computer」に相当する)。また、手動の機械式計算機などと違う点を強調して「自動」の語が初期には入ることもあったが、近年はほぼ見なくなった(ENIACなどの「A」である)。「電子計算組織」という語もあり、官公庁の公式文書である入札公告、条例などで21世紀に入った後の使用例も見られる[2][3]。「組織」の用法は大体「システム」といった意味のようである。 「電子計算機」を省略した、電算機という略語もある。「電算業務」「電算処理」「電算室」などの語で、「コンピュータの」という意味合いで電算という語が用いられる。これについて、情報処理学会が日本における計算機の歴史について調査した際に、学会誌『情報処理』に掲載された富士通における歴史を述べた記事[4]によれば、電子計算機以前の頃、リレーによる計算機によりサービスを開始した同社が(「電子」じゃないけど、ということで)使い始めた言葉であろう、と書かれている(つまり、その由来からは『「電子計算機」を省略した、電算機という略語』ではない)。 他に、人工頭脳[5]や電子頭脳、中国大陸・台湾・香港などでもよく使われる電脳という言葉がある。 語源 英語の 「computer」は算術演算を行う主体を指す語であるが、元々は主体として人間を指していた。この用法は今でも有効である。オックスフォード英語辞典第2版では、この語が主体として機械をも指すようになった最初の年を1286と記している。同辞典では、1946年までに、「computer」の前に修飾語を付けることで異なる方式の計算機を区別するようになったとする。たとえば「analogue computer」「digital computer」「electronic computer」といった表現である。ポルトガル語やスペイン語では”ことばの箱”、com:箱、puter:ことばを話す、を意味させることもある。 計算手は電子計算機と区別するためレトロニムで「human computer」とも表記される。 概要 世界の情報格差を示す地図 アナログ計算機の仕組みについては「アナログ計算機」を参照 1940年代に最初の実用デジタルコンピュータが登場して以来、コンピュータに使われる技術は、特に微細化という点では劇的に変化してきた。しかし現在のところ、基本的にはノイマン型の構成を受け継いでいる。 命令 詳細は「命令 (コンピュータ)」および「機械語」を参照 コンピュータの命令は人間の言語に比べるとずっと貧弱である。コンピュータは限られた数の明確で単純な命令しか持っていないが、曖昧さは全くない。多くのコンピュータで使われている命令の典型的な例としては、「5番地のメモリの中身をコピーしてそのコピーを10番地に書け」とか「7番地の中身を13番地の中身に加算して結果を20番地に書け」とか「999番地の中身が0なら次の命令は30番地にある」といったものである。 コンピュータの内部では命令は二進コード、つまり2を底とする計数法で表現される。例えば、インテル系のマイクロプロセッサで使われるあるコピー命令のコードは10110000である。ある特定のコンピュータがサポートする特定の命令セットをそのコンピュータの機械語と呼ぶ。 実際には、人間がコンピュータへの命令を機械語で直接書くことは通常はなく、高水準のプログラミング言語を使う。プログラミング言語で書かれた命令が、インタプリタやコンパイラと呼ばれる特別なコンピュータプログラムによって自動的に機械語に翻訳されて実行される。プログラミング言語の中にはアセンブリ言語(低水準言語)のように、機械語に非常に近いレベルで対応付けられるものもある。逆に Prolog(プロログ)のような高水準言語は計算機の実際の演算の詳細とは完全に切り分けるという絶対原理に基づいている。 ハードウェア 「ハードウェア」も参照 記憶 詳細は「記憶装置」を参照 記憶装置(メモリ)はアドレスを附与された領域の列で、各の領域には命令又はデータが格納される。 領域に格納された情報は書換可能か否か、揮発性(動力の供給を止めることで情報が失くなるという性質)を有つか否かは、記憶装置の実装方法に依存する。 記憶装置を実装する技術もまた時代と伴に大きく変化してきた。初期は電磁継電器(リレー)が、続いて水銀の入った管(水銀遅延線)や金属線を波(振動)が伝わる際の遅延時間を利用する部品が使われた。次にはフェライト製のトロイダルコア(磁気コアメモリ)や個別部品のトランジスタが使われた。そして、現在使われている方式の元祖と言える、集積回路による記憶装置は1960年代に開発され、1970年代にはコストパフォーマンスで凌駕し、それまでの主流だったコアメモリに替わり主流となった(インテルのDRAM、1103による(en:Intel 1103))。 また、補助的に用いられる、一般に大容量の補助記憶装置がある。例えば、SSDやHDDなどがそれである。 演算 詳細は「演算装置」を参照 演算装置は、加算・減算などの算術演算、AND・OR・NOTなどの論理演算、比較(2つの値が等しいかどうかなど)、ビットシフト等を行う装置である。近年においては、1つの中央演算処理に、メモリーフェッチから計算処理部を複数備えたもの(マルチコア、マルチスレッド)が多い。 制御 詳細は「制御装置」を参照 制御装置は、記憶装置の中に在る、これから実行する命令が在る場所を視続け、実行する時に、実行に必要な情報を記憶装置から読み出し、実行した結果を記憶装置の中の正しい場所に収めるという仕事をする。一度これらの仕事を終えると、制御装置は次の命令が在る場所に目を移す(普通、次の命令は次の格納場所に在るが、ジャンプ命令が実行された場合はそうではない)。インターラプト・リクエスト(演算処理時の割り込み機能:IRQ)を備えたCISC型のプロセッサーが多く流通している。 入出力 詳細は「入出力」を参照 入出力(I/Oとも言う)はコンピュータが外の世界から情報を得たり、計算結果を外に送り返したりすることを可能にするためのものである。外部から見て、コンピュータに情報を送ることを入力、逆にコンピュータから情報を得ることを出力という。 入出力には、入出力インタフェースを介して、入出力装置(I/O装置)が接続される。入出力装置としては例えば、キーボード、マウス、スキャナ、モニタやプリンター、磁気ディスク装置、光学ドライブ装置、ネットワークインタフェースなどといった馴染み深いものから、3次元ディスプレイやデータグローブといったものまで、幅広いものが存在する。 入出力装置は、主として入力を得るためのもの(キーボード、スキャナなど)、出力するためのもの(モニタ、プリンターなど)、入力と出力を兼ね備えたもの(磁気ディスク装置、インタフェースなど)に大別することができる。 アーキテクチャ 「コンピュータ・アーキテクチャ」を参照 ソフトウェア プログラム 詳細は「プログラム (コンピュータ)」を参照 コンピュータプログラムはコンピュータに実行させる命令を記述した物を意味する。ワープロソフトやOSなどの基本的なプログラムは莫大な量の命令からなる。汎用的な処理を、プログラムごとに全て新たに書くのは効率が悪いため、例えば「画面に点を描く」「ファイルに保存する」「インターネットを通して他のコンピュータとデータを遣り取りする」の様な屡行われる仕事は、ライブラリとして纏められる。 今日では、ほとんどのコンピュータは同時にいくつものプログラムを実行するように見える。これは通常、マルチタスクと呼ばれている。実際には、CPUはあるプログラムの命令を実行した後、短い時間の後でもう一つのプログラムに切り替えてその命令を実行している。この短い時間の区切りをタイムスライスと呼ぶ。これによって、複数のプログラムがCPU時間を共有して同時に実行されるように見える。これは動画が実は静止画のフレームの短い連続で作られているのと似ている。このタイムシェアリングは通常、オペレーティングシステムというプログラムで制御されている。 オペレーティングシステム 詳細は「オペレーティングシステム」を参照 具体的に処理すべき作業の有無によらず、コンピュータに自らの演算資源を管理し「ユーザーの指示を待つ」という動作を取らせるためにさえ、ある種のプログラムを必要とする。典型的なコンピュータでは、このプログラムはオペレーティングシステム (OS) と呼ばれている。オペレーティングシステムをはじめとする、コンピュータを動作させるのに必要となるソフトウェアを全般に「システムソフトウェア」と呼ぶ。 コンピュータを動作するためオペレーティングシステムは、ユーザー、もしくは他のプログラムからの要求に応じてプログラム(この意味では、アプリケーションソフトウェアもしくは単にアプリケーションという用語も使用される。ソフトウェアという用語も似た意味合いだが、これはプログラム一般を指すより広い概念である)をメモリー上にロードし、プログラムからの要求に応じていつ、どのリソース(メモリやI/O)をそのプログラムに割り当てるかを決定する。 オペレーティングシステムはハードウェアを抽象化した層を提供し、他のプログラムがハードウェアにアクセスできるようにする。例えばデバイスドライバと呼ばれるコードがその例である。これによってプログラマは、コンピュータに接続された全ての電子装置について、その奥深い詳細を知る必要なくそれらの機械を使うプログラムを書くことができる。また、ライブラリと呼ばれる再利用可能な多くのプログラム群を備え、プログラマは自ら全てのプログラムを書くことなく、自らのプログラムに様々な機能を組み込むことができる。 ハードウェアの抽象化層を持つ現在のオペレーティングシステムの多くは、何らかの標準化されたユーザインタフェースを兼ね備えている。かつてはキャラクタユーザインタフェースのみが提供されていたが、1970年代にアラン・ケイらが Dynabook(ダイナブック)構想を提唱し、「暫定 Dynabook」と呼ばれる Alto(アルト)と Smalltalk(スモールトーク)によるグラフィカルユーザインタフェース環境を実現した。なお、「暫定 Dynabook」は当時のゼロックスの首脳陣の判断により製品化されなかった(ゼロックスより発売されたグラフィカルユーザインタフェース搭載のシステム Xerox Star(ゼロックス・スター)は「暫定 Dynabook」とは別系統のプロジェクトに由来する)が、この影響を受け開発されたアップルコンピュータの LISA(リサ)や Macintosh(マッキントッシュ)、マイクロソフトの Windows(ウィンドウズ)の発売、普及により、グラフィカルユーザインタフェースが一般的にも普及することとなった。 世間に普及するコンピュータを台数を基準として見た場合、そのほとんどはデスクトップコンピュータとして存在しておらず、携帯電話や炊飯器などの電気製品、各種の測定機器、乗用車や工作機械などの装置に組み込まれた、非常に小さく安価なコンピュータとして実装されている。これらを組み込みシステムと呼ぶ。一般に組み込みOSと呼ばれる専用のOSを用いる。TRON(トロン)プロジェクトのITRON(アイトロン)、米ウィンドリバーのVxWorks(ヴイエックスワークスト)、米シンビアンのSymbian OS(シンビアン・オーエス)、米リナックスワークスのLynxOS(リンクスオーエス)などが利用されている。ただし、近年は開発期間の短縮などの目的で、Windows や Linux(リナックス)といったデスクトップコンピュータで使われているOSと同系統のOSを搭載する場合もある。また、小規模な組み込みシステムのなかには、明確なOSを内蔵していないものも多い。 デジタルとアナログ デジタル計算機とアナログ計算機という分類もあるが、アナログ計算機は現代ではほとんどマイナーな存在となったことから、単にコンピュータという表現でデジタルコンピュータを指すことが多い。 なお、「コンピュータ」という語を特に「電子」計算機を指す語として使う場合があり、その用語法では、アナログ計算機のうち特に電子式アナログ計算機を指すのが「アナログコンピュータ」ということになる。 また、対象が連続量ではなく、整数のような離散的であるものは(例えばエレクトロニクスを使っていなくても)「デジタル」である。良い例としては、そろばんはデジタルであり、そろばんのことを指してアナログと言うのは誤りである。 アナログ計算機は、電気的現象・機械的現象・水圧現象を利用してある種の物理現象を表現し、問題を解くのに使われる計算機の一形態である[6]。アナログ計算機はある種の物理量を別の物理量で表し、それに数学的な関数を作用させる。入力の変化に対してほぼリアルタイムで出力が得られる特徴があり(これはいわゆる「高速型」の場合の話である。時間をかけてバランスが取れた状態を見つけ出すとか、移動量の合計を得るといったような「低速型のアナログ計算機」もある)、各種シミュレーションなどに利用されたが、演算内容を変更するためには回路を変更する必要があり、得られる精度にも限界があるので、デジタルコンピュータの性能の向上とDA/ADコンバータの高精度化・高速化によって、コストパフォーマンス的にもそちらで代替したほうが有利となり、その役割を終えた。 なお、かつて電子式アナログコンピュータの重要な要素として多用されたものと同じ機能を持つ電子回路は、IC化された「オペアンプIC」として今日でも広く使われているが、モジュール化され簡単に使えるものになっているため、全くコンピュータとは認識されていない。 以上のようにアナログ計算機が「量」(物理量)によって計算を行うのに対して、デジタルコンピュータは、数(digit)によって「計数的」に計算を行う。現代ではもっぱらエレクトロニクスを用いて、2値論理による論理演算と、二進法による数値表現を使っている(タイガー計算器のように歯車の離散的な角度により十進法を表現するものもデジタルな計算機であるし、機械として見ると2値論理方式の機械でも、数の扱いとしては3増し符号などにより十進法のものもある。数値の表現法である「x進法」と、論理のモデルである「x値論理」は、厳密には別のものであることに注意)。 HHHH--------------------------------------------------- Japan Wikipedia on alice in wonderland 4592 characters 『不思議の国のアリス』(ふしぎのくにのアリス、英: Alice's Adventures in Wonderland)は、イギリスの数学者チャールズ・ラトウィッジ・ドドソン[注釈 1]がルイス・キャロルの筆名で書いた児童小説。1865年刊。幼い少女アリスが白ウサギを追いかけて不思議の国に迷い込み、しゃべる動物や動くトランプなどさまざまなキャラクターたちと出会いながらその世界を冒険するさまを描いている。キャロルが知人の少女アリス・リデルのために即興でつくって聞かせた物語がもとになっており、キャロルはこの物語を手書きの本にして彼女にプレゼントする傍ら、知人たちの好評に後押しされて出版に踏み切った。1871年には続編として『鏡の国のアリス』が発表されている。 『アリス』の本文には多数のナンセンスな言葉遊びが含まれており、作中に挿入される詩や童謡の多くは当時よく知られていた教訓詩や流行歌のパロディとなっている。英国の児童文学を支配していた教訓主義から児童書を解放したとして文学史上確固とした地位を築いているだけでなく、聖書やシェイクスピアに次ぐといわれるほど多数の言語に翻訳され引用や言及の対象となっている作品である[1]。本作品に付けられたジョン・テニエルによる挿絵は作品世界のイメージ形成に大きく寄与しており、彼の描いたキャラクターに基づく関連商品が数多く作られるとともに、後世の『アリス』の挿絵画家にも大きな影響を及ぼしている。ディズニー映画『ふしぎの国のアリス』をはじめとして映像化・翻案・パロディの例も数多い。 目次 成立 7歳のアリス・リデル。キャロルの撮影(1860年)。 『不思議の国のアリス』成立の発端は、作品出版の3年前の1862年7月4日にまで遡る。この日キャロル(ドドソン)は、かねてから親しく付き合っていたリデル家[注釈 2]の三姉妹、すなわちロリーナ(Lorina Charlotte Liddell、13歳)、アリス(Alice Pleasance Liddell、10歳)、イーディス(Edith Mary Liddell、8歳)、それにトリニティ・カレッジの同僚ロビンスン・ダックワースとともに、アイシス川[注釈 3]をボートで遡るピクニックに出かけた[2][注釈 4]。 手書き本『地下の国のアリス』 この行程は、オックスフォード近郊のフォーリー橋から始まり、5マイル離れたゴッドストウ村で終わった。その間キャロルは少女たち、特にお気に入りであったアリスのために、「アリス」という名の少女の冒険物語を即興で語って聞かせた[注釈 5]。キャロルはそれまでにも彼女たちのために即興で話をつくって聞かせたことが何度かあったが、アリスはその日の話を特に気に入り、自分のために物語を書き留めておいてくれるようキャロルにせがんだ[5]。キャロルはピクニックの翌日からその仕事に取り掛かり、8月にゴッドストウへ姉妹と出かけた際には物語の続きを語って聞かせた[6]。この手書きによる作品『地下の国のアリス』が完成したのは1863年2月10日のことであったが、キャロルはさらに自分の手で挿絵や装丁まで仕上げたうえで、翌1864年11月26日にアリスにこの本をプレゼントした[7][注釈 6]。 さらにこの間、キャロルは知己であり幻想文学・児童文学の人気作家であったジョージ・マクドナルドとその家族に原稿を見せた。マクドナルド夫妻は手紙で、作品を正式に出版することをキャロルに勧め、また夫妻の6歳の息子グレヴィルが「この本が6万部あればいいね」と言ったことがキャロルを励ました[9]。こうしてキャロルは出版を決意し、『地下の国のアリス』から当事者にしかわからないジョークなどを取り除き、「チェシャ猫」や「狂ったお茶会」などの新たな挿話を書き足して、もとの18,000語から2倍ちかい35,000語の作品に仕上げ、タイトルも『不思議の国のアリス』に改めた[10]。出版社は1863年末にロンドンのマクミラン社と決まった。マクミラン社は当時、自社で出したばかりのチャールズ・キングスレー[注釈 7]の児童書『水の子どもたち』が好評を得ていたため、キャロルの物語に興味を示したものと思われる[12][13]。挿絵は『パンチ』の編集者トム・テイラーの紹介によって、同誌の看板画家ジョン・テニエルに依頼された。挿絵にこだわりを持っていたキャロルはテニエルと何度も連絡をとり、細かい注文をつけてテニエルを閉口させたが、二人のやりとりのあとを示す書簡は今日では残っていない[14]。 出版 『不思議の国のアリス』タイトルページ。 『不思議の国のアリス』は、前述の『水の子』と同じ18センチメートル×13センチメートルの判形に、赤い布地に金箔を押した装丁と決まり、1865年7月に2000部が刷られた[15]。出版はマクミラン社だが、挿絵代もふくめ出版費用はすべてキャロル自身が受け持っている(当時こうしたかたちの出版契約はめずらしくなかった)。このため、キャロルは自分が好むままの本作りをすることができたのである[15]。ところが、挿絵を担当したテニエルが初版本の印刷に不満があるとただちに手紙で知らせてきたため、キャロルはマクミラン社と相談のうえで出版の中止を取り決め、初版本をすべて回収し文字組みからやり直さなければならなくなった[注釈 8]。 印刷のやり直しは費用を負担しているキャロルにとって痛手であったが、こうして1865年11月に刊行された『不思議の国のアリス』は着実に売れていき、1867年までに1万部、1872年には3万5000部、1886年には7万8000部に達した[19]。キャロルは本を寄贈した知人たち(その中にはダンテ・ゲイブリエル・ロセッティや、前述のチャールズ・キングスリーの弟ヘンリー・キングスリーらがいた[20])から好評を得たばかりでなく、各紙の書評でいずれも無条件の賞賛を受けた。キャロルは当時の日記に19の書評をリストしており、その中には『アリス』を「輝かしい芸術的宝物」と評した『リーダー』紙をはじめ『プレス』『ブックセラー』『ガーディアン』などが含まれている。『パブリッシャー・サーキュラー』は、その年の200冊の子供の本のうち「もっとも魅力のある本」に『アリス』を選んだ。「わざとらしい凝りすぎた話」として批判した『アシニーアム』は唯一の例外であった[21][22]。 『子供部屋のアリス』 この『不思議の国のアリス』の出版により、ルイス・キャロルの名は1、2年の間に広く知られるようになった[23]。好評を受けたキャロルは『アリス』の続編を企画しはじめ、1866年頃より『鏡の国のアリス』の執筆をはじめた[24][注釈 9]。この続編は1871年のクリスマスに出版、翌年のキャロルの誕生日(1月27日)までの間に1万5000部を売り上げた。二つの『アリス』の物語は以後途切れることなく版を重ね続け、マクミラン社はキャロルが死去した1898年までに、『不思議の国のアリス』を15万部以上、後述の続編『鏡の国のアリス』も10万部以上を出版している[26]。 1886年、『不思議の国のアリス』の原型である『地下の国のアリス』の複製本が出版された。キャロルが『アリス』の人気をみて、読者が元となった手書き本を見たいのではないかと考えたもので、キャロルは出版にあたり、ハーグリーヴス夫人となっていたアリスに許可を求めて原本を借り受けた[27]。1889年にはキャロル自身の手で幼児向けに脚色された『子供部屋のアリス』が出版された。この作品ではまたテニエル自身が自分の過去の挿絵に彩色を施している[28]。 あらすじ Alice par John Tenniel 03.png ある日、アリスは川辺の土手で読書中の姉の傍で退屈を感じながら座っていた。すると、そこに服を着た白ウサギが、人の言葉を喋りながら通りかかる。驚いたアリスは、白ウサギを追いかけて、ウサギ穴に落ち、さまざまなものが壁の棚に置いてあるその穴を長い時間をかけて落下する。着いた場所は、広間になっていた。アリスは、そこで金の鍵と通り抜けることができないほどの小さな扉を見つける。その傍には不思議な小瓶があり、それを飲んだアリスはみるみる小さくなる。しかし、今度は鍵をテーブルに置き忘れて、取れなくなってしまう(第1章 ウサギ穴に落ちて)。次に、アリスは、不思議なケーキを見つける。しかし、それを食べると、今度は身体が大きくなりすぎてしまい、部屋から出られなくなった。困ったアリスは泣き出し、その大量の涙で池が出来てしまう。アリスは、白ウサギが落としていった扇子の効果で再び小さくなるが、足を滑らせて自分の作った池にはまり込む。そこにネズミをはじめとして、さまざまな鳥獣たちが泳いで集まってくる(第2章 涙の池)。 アリスと鳥獣たちは、岸辺に上がり、体を乾かすために「コーカス・レース」[注釈 10]という、円を描いてぐるぐるまわる競走を行う。それから、アリスはネズミにせがんで、なぜ彼が犬や猫を怖がるのかを話してもらう。この話に対して、アリスは、飼い猫のダイナの自慢話を始めてしまう。そして、この猫がネズミも鳥も食べると聞いた動物たちは、逃げ去ってしまう(第3章 コーカス・レースと長い尾話)。一人になったアリスのもとに白ウサギが戻ってきて、アリスをメイドと勘違いして自分の家に使いに行かせる。そこで、アリスは、小瓶を見つけて飲んでしまい、この効果で再び身体が大きくなり、部屋の中に詰まってしまう。白ウサギは、「トカゲのビル」を使ってアリスを追い出そうとするが、失敗に終わる。その後、白ウサギたちは、家のなかに小石を投げ入れた。この小石が体を小さくさせるケーキに変わったため、アリスは再び小さくなって家から出られるようになる(第4章 白ウサギがちびのビルを使いに出す)。 アリスは、動物たちや大きな子犬から逃れて、森に入った。そこで、キノコの上で大きなイモムシに出会う。イモムシは、ぞんざいな態度でアリスにあれこれ問いただした後、キノコの一方をかじれば大きく、反対側をかじれば小さくなれると教えて去る。アリスは、キノコを少しずつかじり調節しながら元の大きさに戻る。次に、小さな家を見つけ、そこに入るために小さくなるほうのキノコをかじる(第5章 イモムシの助言)。その家は公爵夫人の家であり、家の前ではサカナとカエルの従僕がしゃちほこばった態度で招待状のやり取りを行っている。家の中には、赤ん坊を抱いた無愛想な公爵夫人、やたらとコショウを使う料理人、それにチェシャ猫がいた。料理人は、料理の合間に手当たり次第に、赤ん坊にものを投げつける。アリスは、公爵夫人から赤ん坊を渡されるが、家の外に出るとそれは豚になって森に逃げていく。アリスが森を歩いていくと、樹上にチェシャ猫が出現し、アリスに三月ウサギと帽子屋の家へ行く道を教えたあと、「笑わない猫」ならぬ「猫のない笑い」 (a grin without a cat) を残して消える(第6章 豚とコショウ)。 HHHH--------------------------------------------------- first 3 chapters of Kokoro 4719 characters 上 先生と私 一  私わたくしはその人を常に先生と呼んでいた。だからここでもただ先生と書くだけで本名は打ち明けない。これは世間を憚はばかる遠慮というよりも、その方が私にとって自然だからである。私はその人の記憶を呼び起すごとに、すぐ「先生」といいたくなる。筆を執とっても心持は同じ事である。よそよそしい頭文字かしらもじなどはとても使う気にならない。  私が先生と知り合いになったのは鎌倉かまくらである。その時私はまだ若々しい書生であった。暑中休暇を利用して海水浴に行った友達からぜひ来いという端書はがきを受け取ったので、私は多少の金を工面くめんして、出掛ける事にした。私は金の工面に二に、三日さんちを費やした。ところが私が鎌倉に着いて三日と経たたないうちに、私を呼び寄せた友達は、急に国元から帰れという電報を受け取った。電報には母が病気だからと断ってあったけれども友達はそれを信じなかった。友達はかねてから国元にいる親たちに勧すすまない結婚を強しいられていた。彼は現代の習慣からいうと結婚するにはあまり年が若過ぎた。それに肝心かんじんの当人が気に入らなかった。それで夏休みに当然帰るべきところを、わざと避けて東京の近くで遊んでいたのである。彼は電報を私に見せてどうしようと相談をした。私にはどうしていいか分らなかった。けれども実際彼の母が病気であるとすれば彼は固もとより帰るべきはずであった。それで彼はとうとう帰る事になった。せっかく来た私は一人取り残された。  学校の授業が始まるにはまだ大分だいぶ日数ひかずがあるので鎌倉におってもよし、帰ってもよいという境遇にいた私は、当分元の宿に留とまる覚悟をした。友達は中国のある資産家の息子むすこで金に不自由のない男であったけれども、学校が学校なのと年が年なので、生活の程度は私とそう変りもしなかった。したがって一人ひとりぼっちになった私は別に恰好かっこうな宿を探す面倒ももたなかったのである。  宿は鎌倉でも辺鄙へんぴな方角にあった。玉突たまつきだのアイスクリームだのというハイカラなものには長い畷なわてを一つ越さなければ手が届かなかった。車で行っても二十銭は取られた。けれども個人の別荘はそこここにいくつでも建てられていた。それに海へはごく近いので海水浴をやるには至極便利な地位を占めていた。  私は毎日海へはいりに出掛けた。古い燻くすぶり返った藁葺わらぶきの間あいだを通り抜けて磯いそへ下りると、この辺へんにこれほどの都会人種が住んでいるかと思うほど、避暑に来た男や女で砂の上が動いていた。ある時は海の中が銭湯せんとうのように黒い頭でごちゃごちゃしている事もあった。その中に知った人を一人ももたない私も、こういう賑にぎやかな景色の中に裹つつまれて、砂の上に寝ねそべってみたり、膝頭ひざがしらを波に打たしてそこいらを跳はね廻まわるのは愉快であった。  私は実に先生をこの雑沓ざっとうの間あいだに見付け出したのである。その時海岸には掛茶屋かけぢゃやが二軒あった。私はふとした機会はずみからその一軒の方に行き慣なれていた。長谷辺はせへんに大きな別荘を構えている人と違って、各自めいめいに専有の着換場きがえばを拵こしらえていないここいらの避暑客には、ぜひともこうした共同着換所といった風ふうなものが必要なのであった。彼らはここで茶を飲み、ここで休息する外ほかに、ここで海水着を洗濯させたり、ここで鹹しおはゆい身体からだを清めたり、ここへ帽子や傘かさを預けたりするのである。海水着を持たない私にも持物を盗まれる恐れはあったので、私は海へはいるたびにその茶屋へ一切いっさいを脱ぬぎ棄すてる事にしていた。 二  私わたくしがその掛茶屋で先生を見た時は、先生がちょうど着物を脱いでこれから海へ入ろうとするところであった。私はその時反対に濡ぬれた身体からだを風に吹かして水から上がって来た。二人の間あいだには目を遮さえぎる幾多の黒い頭が動いていた。特別の事情のない限り、私はついに先生を見逃したかも知れなかった。それほど浜辺が混雑し、それほど私の頭が放漫ほうまんであったにもかかわらず、私がすぐ先生を見付け出したのは、先生が一人の西洋人を伴つれていたからである。  その西洋人の優れて白い皮膚の色が、掛茶屋へ入るや否いなや、すぐ私の注意を惹ひいた。純粋の日本の浴衣ゆかたを着ていた彼は、それを床几しょうぎの上にすぽりと放ほうり出したまま、腕組みをして海の方を向いて立っていた。彼は我々の穿はく猿股さるまた一つの外ほか何物も肌に着けていなかった。私にはそれが第一不思議だった。私はその二日前に由井ゆいが浜はままで行って、砂の上にしゃがみながら、長い間西洋人の海へ入る様子を眺ながめていた。私の尻しりをおろした所は少し小高い丘の上で、そのすぐ傍わきがホテルの裏口になっていたので、私の凝じっとしている間あいだに、大分だいぶ多くの男が塩を浴びに出て来たが、いずれも胴と腕と股ももは出していなかった。女は殊更ことさら肉を隠しがちであった。大抵は頭に護謨製ゴムせいの頭巾ずきんを被かぶって、海老茶えびちゃや紺こんや藍あいの色を波間に浮かしていた。そういう有様を目撃したばかりの私の眼めには、猿股一つで済まして皆みんなの前に立っているこの西洋人がいかにも珍しく見えた。  彼はやがて自分の傍わきを顧みて、そこにこごんでいる日本人に、一言ひとこと二言ふたこと何なにかいった。その日本人は砂の上に落ちた手拭てぬぐいを拾い上げているところであったが、それを取り上げるや否や、すぐ頭を包んで、海の方へ歩き出した。その人がすなわち先生であった。  私は単に好奇心のために、並んで浜辺を下りて行く二人の後姿うしろすがたを見守っていた。すると彼らは真直まっすぐに波の中に足を踏み込んだ。そうして遠浅とおあさの磯近いそちかくにわいわい騒いでいる多人数たにんずの間あいだを通り抜けて、比較的広々した所へ来ると、二人とも泳ぎ出した。彼らの頭が小さく見えるまで沖の方へ向いて行った。それから引き返してまた一直線に浜辺まで戻って来た。掛茶屋へ帰ると、井戸の水も浴びずに、すぐ身体からだを拭ふいて着物を着て、さっさとどこへか行ってしまった。  彼らの出て行った後あと、私はやはり元の床几しょうぎに腰をおろして烟草タバコを吹かしていた。その時私はぽかんとしながら先生の事を考えた。どうもどこかで見た事のある顔のように思われてならなかった。しかしどうしてもいつどこで会った人か想おもい出せずにしまった。  その時の私は屈托くったくがないというよりむしろ無聊ぶりょうに苦しんでいた。それで翌日あくるひもまた先生に会った時刻を見計らって、わざわざ掛茶屋かけぢゃやまで出かけてみた。すると西洋人は来ないで先生一人麦藁帽むぎわらぼうを被かぶってやって来た。先生は眼鏡めがねをとって台の上に置いて、すぐ手拭てぬぐいで頭を包んで、すたすた浜を下りて行った。先生が昨日きのうのように騒がしい浴客よくかくの中を通り抜けて、一人で泳ぎ出した時、私は急にその後あとが追い掛けたくなった。私は浅い水を頭の上まで跳はねかして相当の深さの所まで来て、そこから先生を目標めじるしに抜手ぬきでを切った。すると先生は昨日と違って、一種の弧線こせんを描えがいて、妙な方向から岸の方へ帰り始めた。それで私の目的はついに達せられなかった。私が陸おかへ上がって雫しずくの垂れる手を振りながら掛茶屋に入ると、先生はもうちゃんと着物を着て入れ違いに外へ出て行った。 三  私わたくしは次の日も同じ時刻に浜へ行って先生の顔を見た。その次の日にもまた同じ事を繰り返した。けれども物をいい掛ける機会も、挨拶あいさつをする場合も、二人の間には起らなかった。その上先生の態度はむしろ非社交的であった。一定の時刻に超然として来て、また超然と帰って行った。周囲がいくら賑にぎやかでも、それにはほとんど注意を払う様子が見えなかった。最初いっしょに来た西洋人はその後ごまるで姿を見せなかった。先生はいつでも一人であった。  或ある時先生が例の通りさっさと海から上がって来て、いつもの場所に脱ぬぎ棄すてた浴衣ゆかたを着ようとすると、どうした訳か、その浴衣に砂がいっぱい着いていた。先生はそれを落すために、後ろ向きになって、浴衣を二、三度振ふるった。すると着物の下に置いてあった眼鏡が板の隙間すきまから下へ落ちた。先生は白絣しろがすりの上へ兵児帯へこおびを締めてから、眼鏡の失なくなったのに気が付いたと見えて、急にそこいらを探し始めた。私はすぐ腰掛こしかけの下へ首と手を突ッ込んで眼鏡を拾い出した。先生は有難うといって、それを私の手から受け取った。  次の日私は先生の後あとにつづいて海へ飛び込んだ。そうして先生といっしょの方角に泳いで行った。二丁ちょうほど沖へ出ると、先生は後ろを振り返って私に話し掛けた。広い蒼あおい海の表面に浮いているものは、その近所に私ら二人より外ほかになかった。そうして強い太陽の光が、眼の届く限り水と山とを照らしていた。私は自由と歓喜に充みちた筋肉を動かして海の中で躍おどり狂った。先生はまたぱたりと手足の運動を已やめて仰向けになったまま浪なみの上に寝た。私もその真似まねをした。青空の色がぎらぎらと眼を射るように痛烈な色を私の顔に投げ付けた。「愉快ですね」と私は大きな声を出した。  しばらくして海の中で起き上がるように姿勢を改めた先生は、「もう帰りませんか」といって私を促した。比較的強い体質をもった私は、もっと海の中で遊んでいたかった。しかし先生から誘われた時、私はすぐ「ええ帰りましょう」と快く答えた。そうして二人でまた元の路みちを浜辺へ引き返した。  私はこれから先生と懇意になった。しかし先生がどこにいるかはまだ知らなかった。  それから中なか二日おいてちょうど三日目の午後だったと思う。先生と掛茶屋かけぢゃやで出会った時、先生は突然私に向かって、「君はまだ大分だいぶ長くここにいるつもりですか」と聞いた。考えのない私はこういう問いに答えるだけの用意を頭の中に蓄えていなかった。それで「どうだか分りません」と答えた。しかしにやにや笑っている先生の顔を見た時、私は急に極きまりが悪くなった。「先生は?」と聞き返さずにはいられなかった。これが私の口を出た先生という言葉の始まりである。  私はその晩先生の宿を尋ねた。宿といっても普通の旅館と違って、広い寺の境内けいだいにある別荘のような建物であった。そこに住んでいる人の先生の家族でない事も解わかった。私が先生先生と呼び掛けるので、先生は苦笑いをした。私はそれが年長者に対する私の口癖くちくせだといって弁解した。私はこの間の西洋人の事を聞いてみた。先生は彼の風変りのところや、もう鎌倉かまくらにいない事や、色々の話をした末、日本人にさえあまり交際つきあいをもたないのに、そういう外国人と近付ちかづきになったのは不思議だといったりした。私は最後に先生に向かって、どこかで先生を見たように思うけれども、どうしても思い出せないといった。若い私はその時暗あんに相手も私と同じような感じを持っていはしまいかと疑った。そうして腹の中で先生の返事を予期してかかった。ところが先生はしばらく沈吟ちんぎんしたあとで、「どうも君の顔には見覚みおぼえがありませんね。人違いじゃないですか」といったので私は変に一種の失望を感じた。 HHHH--------------------------------------------------- first chapter of alice in wonderland 4997 characters  アリスはあっきあきしてきた、木かげで、お姉さまのそばですわってるのも、何もしないでいるのも――ちらちらお姉さまの読んでる本をのぞいてみても、さし絵もかけ合いもない、「なら本のねうちって何、」とアリスは思う、「さし絵もかけ合いもないなんて。」  だから物思いにふけるばっかり(といってもそれなり、だって日ざしぽかぽかだとぼんやりねむくなってくるし)、デイジーの花輪作りはわざわざ立ち上がって花をつむほど楽しいものなのかしら――そこへふといきなり赤い目の白ウサギが1羽そばをかけぬける。 挿絵1  たいして目を引くようなところもないから、アリスにしてもさほどとんでもないとも感じないまま、聞こえてくるウサギのひとりごと。「およよ! およよ! ちこくでおじゃる!」(あとになって思い返すと、ここでふしぎがってしかるべきという気もするけど、そのときはみんな自然きわまると思えてね)その次にウサギがチョッキのぽっけから時計を取り出し、まじまじしてからかけ出したから、アリスもとびあがる、だってむねがはっとした、これまでそんなウサギ見たことない、チョッキにぽっけがあったり、時計を取り出したり、そこでわくわく気になる、野原を走って追っていくと、さいわいちょうど目の前でそいつはかき根の下、大きなウサギ穴にぴょんと入って。  たちまち飛びこみアリスは後を追う、またもどってこられるかなんて、ちっとも考えもせずに。  そのウサギ穴はまっすぐ続いて、まるでどこかトンネルみたい、そのあといきなり下り坂、いきなりすぎてふみとどまろうと思うまもなく気づいたらかなり深いふきぬけみたいなところに落っこちていて。  穴がすごく深いのか、落ちるのがすごくゆるやかなのか、どうにもひまがありすぎて、落ちるあいだにあたりは見られる、次にはどうなるのって思いもできる。まず下を見てみると、ゆく先はわかるけれども、暗すぎて何がなんだか。そのあと穴のぐるりを見ると、目にとまるのはぎっしりならんだ戸だなに本だな。あちらこちらに見える画びょうでとまった地図に絵。通りがかりにたなのひとつからびんを取り下ろすと、〈オレンジ・マーマレード〉とはられてあるのに、とてもがっかり、中身はから。とはいえ、びんを放るのはしのびない、だって下のだれかが死ぬといけないから、うまく戸だなのひとつへ通りすがりに置いておいた。 「ふふ!」とアリスは考えごと。「こうやって落ちておけば、もう階段転げ落ちるのなんてわけなくてよ! おうちに帰ったら、あたくしみんなの英雄ね! ええ、お屋敷の屋根から落ちたって、何も声をあげたりしないんだから!」(そりゃあまあそうだよね。)  ひゅうん、うん、うん。いつになったら落ちきるのかな。「これまでのところで、どれくらい落ちたのかしら。」と声に出してみる。「地球のまんなかあたりには来てるはずね。ええと、6400キロの深さだったかしら――」(だって、ほら、アリスはお勉強の時間にこういったことはそれなりにかじっていたからね、今ここでひけらかしたところで、聞いてくれる人もいないからどうしようもないけど、そらんじるけいこにはなったかな。)「――うん、それでだいたい深さは合ってるけど――あと今いるはずのイドとケイドは何かしら?」(アリスは緯度も経度もさっぱりだけど、今言うと格好がつくかなと思っただけ。)  やがてまた始めて。「まさかこのまま地球をまっすぐつきぬけて? 面白いっ、行きつく先の方々は頭を下にして歩いてるってわけね! たんはい人ね、たぶん――」(聞いてる人がいなくてちょうどよかったかも、このとき、言葉づかいがまちがっていたからね)「――でもちゃんとお国のお名前何ですかっておうかがいしないと、ねえ。どうも、おくさま、ここはニュージーランド、それともオーストラリア?」(と言いながら左足を引いてひざを曲げようとしたんだけど――空中でこんなふうにスカートつまむところ思いえがける? できると思う?)「そうしたら物をたずねたあたくしが、なんて物知らずの小娘って思われてよ! だめ、聞けない。でももしかしたらどこかに書いてあるのが見つかるかも。」  ぴゅうん、うん、うん。ほかにやることもなくて、またすぐにアリスはしゃべりだす。「ダイナ、あたくしがいなくて、今晩はきっとさみしがっていてよ!」(ダイナはネコのこと。)「みんなお茶の時間にミルク出すのわすれてないといいけれど。ダイナちゃん! いっしょに落ちてくれたらよかったのに! 空中にネズミはいなさそうだけど、コウモリならとれるかも、だってほら似ててよ、ネズミと。でもネコってコウモリ食べるのかしら。」ここでアリスはちょっとねむたくなってきて、うつらうつらしながらそのままひとりごと。「ネーコってコーモリ食べる? ネーコって、コーモリ、食べる?」そのうちどっちがどっち食べるのかわからなくなって。まあほらどちらにしても答えはわからないから、どっちになっても大して変わりないけど。うとうと気分になると、ちょうど始まるゆめのなかではダイナと手をつないでおさんぽの場面、そこでにらんで言うんだ、「いいこと、ダイナ、はっきりお言い。あなたコウモリ食べたことあって?」そのときいきなり、どさっ! どささっ! とつっこんだのが枝にかれ葉の山で、落っこちるのおしまい。  アリスにけがはちっともなくて、ぴょいとすぐさままっすぐ立てる。見上げてみても、頭の上はまっくらやみ。前にはまた長い道があって、白ウサギがまだ見えるところにいて、かけ足で進んでいく。ぐずぐずしてるひまなんてない。走り出すアリスは風のよう、ちょうどぎりぎり向こうが角を曲がるところでこんな声が。「おおぴょんぬるかな、もう大ちこくでおじゃる!」すぐあとに続いてこっちも角を回ったはずなのに、ウサギのすがたはもうあたりになくて。気づけば天井低めの大広間、その天井からずらりとぶらさがったランプで照らされてて。  まわりにぐるりとドアがならんでいたのに、どれもみんな鍵がかかってて、だからアリスはえんえんあっちにこっちに、ぜんぶドアを試したあと、とぼとぼとまんなかに歩いていってね、どうやったらまたお外に出られるんだろうって。  するとそこでふと出くわした3本足の小さなテーブル、ぜんぶまるまるガラスでできていて、なんとその上にはただひとつ、ちっちゃな金の鍵、そこでアリスがまずひらめいたのが、この広間のドアのどれかに合うんじゃないかってこと。なのに何たること! 穴が大きすぎるか鍵が小さすぎるか、とにかく何にも開かない。ところがもう1度回ってみると、前には気付かなかったけれど、ちんまりカーテンのかかっているところにばったり、そのうらには高さ40センチくらいのドアが。で、ちっちゃな金の鍵で合わないか試してみると、とってもうれしいことにぴったり! 挿絵2  アリスがドアを開けるとネズミ穴と同じくらいの小さな通り口が続いていて、しゃがんでのぞいてみると、向こうには見たこともないきれいなお庭が。もうその暗い広間から飛び出して、明るいお花畑とひんやり泉のあたりを歩き回りたくてしかたがないのに、そのドアは頭も通らなくって。「頭だけが向こうに出ても結局、」とかわいそうにアリスは考えごと。「肩がぬけなくちゃどうしようもなくてよ。はあ、望遠鏡みたく身体をたためればどんなにいいか! 始め方さえわかれば、たぶんできるのに。」というのも、ほら、ここずっととんでもないことばかり起こってたから、アリスはほんとにできないことなんて、もう実はほとんどないじゃないかって気になってきてたんだ。  ドアの前でぼーとしててもしかたないみたいだから、テーブルのところに引き返して、もうひとつ鍵でも、いやせめて身体のたたみ方の本でも見つからないかなと思ってたんだけど、今度見るとテーブルには小びんが(「さっきまでぜったいなかったのに」ってアリスは言って)びんの首にはくるっと紙切れ、そこに〈ノンデ〉って文字がカタカナできれいに印刷してあって。 挿絵3 「ノンデ」っていうのはたいへんけっこう、でもお利口さんのアリスはあわててそんなことしたりしません。「だめ、まずたしかめること。」って言う、「そのびんに〈毒〉の印があるかないか見てみないと。」だってそういう小話をそれなりに読んだことがあって、そこでは子どもがやけどしたり、けだものに食べられたり、そのほかひどい目に合うのだけど、どれもお友だちの教えてくれた簡単な決まりをわすれたせいでそうなったわけ。たとえば、赤くてちんちんの火かきをずっと持ってるとやけどするよ、ナイフで指を深く切ったらふつうは血が出るよ、とか。で、ちゃんと覚えていたのが、〈毒〉の印のあるびんをぐびぐび飲むと、おそかれ早かれほぼまちがいなく毒に当たるよ、というもの。  とはいえ、このびんには〈毒〉の印はなかったので、アリスが思い切って味見してみると、とってもおいしくて(なんと風味はサクランボのタルトにカスタード、パイナップルからローストチキンとキャラメル、あつあつのバタートーストまでがいっしょになったみたいで)あっというまに飲みきっちゃった。 *   *   *   *   *   *   * *   *   *   * 「とってもへんてこな気持ち!」とアリス。「望遠鏡みたく身体がたたまれてるのね。」  うん、その通り。今や背たけはたった25センチ、そして顔がぱっとあかるくなったのは、あの小さいドアからすてきなお庭に出るのに、今の大きさならちょうどいいって思ったから。とはいえ、まずはしばらくじっとしてたしかめる、もうちぢまないかなって、ちょっぴりどきどきしていたんだ。「だってほら、おしまいに、」とアリスはひとりごと。「ロウソクみたく、ぜんぶいなくなっちゃうのかも。あたくしそうしたらどうなっちゃうのかしら。」そこでロウソクがふっと吹き消されたあと火がどうなるのか思いうかべてみようとしたんだ、そんなの見たことなかったからね。  しばらくして、もう何も起こらないってわかったから、すぐにでもお庭へ出ることにしたんだ。でも、あああかわいそうにアリス! ドアのところで、ちっちゃな金の鍵をわすれたことに気がついて、取ろうとテーブルに引き返してみると、今度は上にぜんぜんとどかない。ガラスの向こうにもうはっきりと見えるのに、せいいっぱいテーブルの足からのぼろうとしても、すべるすべる。しまいにはくたびれて、かわいそうにかわい子ちゃんはへたりこんで大泣き。 「ほら、そんなふうに泣いたってどうしようもなくてよ!」とアリスは自分に言い聞かせる。「あなた、今すぐにおやめなさい!」いつもご自分へのおいさめはとてもご立派(あんまり言うこと聞かないけど)、時にはご自分へのおしかりがきびしくてなみだをためることもある。あるときなんか自分対自分のクローケーの試合でずるっこしたからってわすれずご自分の耳をおはたきになろうとするくらい。このへんてこな子は1人2役するのが大好きだったんだ。「でも今、」とかわいそうなアリスの考えでは「1人2役してもしかたなくてよ! もう、あたくし、ちゃんとひとり分にも足りてないんだもの!」  ふと目を落とすと、テーブルの下に置かれたガラスの小箱。開けると中に小ぶりの焼菓子が見つかって、そこにはほしブドウで、〈タベテ〉って文字をきれいにならべてあって。「なら、いただきます。」とアリス。「身体が大きくなれば鍵にもとどくし、身体が小さくなってもドア下をくぐりぬけられる。いずれにしても庭には出られるから、どっちになってもかまわなくてよ!」  ちょびっとかじって、そわそわとひとりごと。「どちらの方? どちらなの?」とどっちになるかわかるように、頭のてっぺんを手でおさえていたらびっくりびっくり、気づくと同じ背たけのまま。たしかに、焼菓子を食べただけじゃ、こういうふうになるのがふつうなんだけど、アリスはとんでもないことが起こるってほんとにそれだけを考えるようになってたから、まっとうな人生ががすごくつまらなくばかげたことに思えてね。  だからむきになって、たちまちぺろりと焼菓子をたいらげたん HHHH--------------------------------------------------- 人間失格 by Dazai,Osamu 太宰,治 (1909-1948) (aka 津島 修治) first 11.6k chars. 人間失格 太宰治 はしがき 私は、その男の写真を三葉、見たことがある。 一葉は、その男の、幼年時代、とでも言うべきであ ろうか、十歳前後かと推定される頃の写真であって、 その子供が大勢の女のひとに取りかこまれ、(それは、 その子供の姉たち、妹たち、それから、従姉妹 い と こ たちか と想像される)庭園の池のほとりに、荒い縞の 袴 はかま をは いて立ち、首を三十度ほど左に傾け、醜く笑っている 写真である。醜く? けれども、鈍い人たち(つまり、 美醜などに関心を持たぬ人たち)は、面白くも何とも 無いような顔をして、 「可愛い坊ちゃんですね」 といい加減なお世辞を言っても、まんざら空 から お世辞 に聞えないくらいの、謂 い わば通俗の「可愛らしさ」み たいな影もその子供の笑顔に無いわけではないのだが、 しかし、いささかでも、美醜に就いての訓練を経て来 たひとなら、ひとめ見てすぐ、 「なんて、いやな子供だ」 と 頗 すこぶ る不快そうに 呟 つぶや き、毛虫でも払いのける時の ような手つきで、その写真をほうり投げるかも知れな い。 まったく、その子供の笑顔は、よく見れば見るほど、 何とも知れず、イヤな薄気味悪いものが感ぜられて来 る。どだい、それは、笑顔でない。この子は、少しも 笑ってはいないのだ。その証拠には、この子は、両方 のこぶしを固く握って立っている。人間は、こぶしを 固く握りながら笑えるものでは無いのである。猿だ。 猿の笑顔だ。ただ、顔に醜い皺 しわ を寄せているだけなの である。「皺くちゃ坊ちゃん」とでも言いたくなるく らいの、まことに奇妙な、そうして、どこかけがらわ しく、へんにひとをムカムカさせる表情の写真であっ た。私はこれまで、こんな不思議な表情の子供を見た 事が、いちども無かった。 第二葉の写真の顔は、これはまた、びっくりするく らいひどく変貌 へんぼう していた。学生の姿である。高等学校 時代の写真か、大学時代の写真か、はっきりしないけ れども、とにかく、おそろしく美貌の学生である。し かし、これもまた、不思議にも、生きている人間の感 じはしなかった。学生服を着て、胸のポケットから白 いハンケチを覗 のぞ かせ、籐椅子 と う い す に腰かけて足を組み、そ うして、やはり、笑っている。こんどの笑顔は、皺く ちゃの猿の笑いでなく、かなり巧みな微笑になっては いるが、しかし、人間の笑いと、どこやら違う。血の 重さ、とでも言おうか、生命 いのち の渋さ、とでも言おうか、 そのような充実感は少しも無く、それこそ、鳥のよう ではなく、羽毛のように軽く、ただ白紙一枚、そうし て、笑っている。つまり、一から十まで造り物の感じ なのである。キザと言っても足りない。軽薄と言って も足りない。ニヤケと言っても足りない。おしゃれと 言っても、もちろん足りない。しかも、よく見ている と、やはりこの美貌の学生にも、どこか怪談じみた気 味悪いものが感ぜられて来るのである。私はこれまで、 こんな不思議な美貌の青年を見た事が、いちども無 かった。 もう一葉の写真は、最も奇怪なものである。まるで もう、としの頃がわからない。頭はいくぶん白髪のよ うである。それが、ひどく汚い部屋(部屋の壁が三箇 所ほど崩れ落ちているのが、その写真にハッキリ写っ ている)の片隅で、小さい火鉢に両手をかざし、こん どは笑っていない。どんな表情も無い。謂わば、坐っ て火鉢に両手をかざしながら、自然に死んでいるよう な、まことにいまわしい、不吉なにおいのする写真で あった。奇怪なのは、それだけでない。その写真には、 わりに顔が大きく写っていたので、私は、つくづくそ の顔の構造を調べる事が出来たのであるが、額は平凡、 額の皺も平凡、眉も平凡、眼も平凡、鼻も口も顎 あご も、 ああ、この顔には表情が無いばかりか、印象さえ無い。 特徴が無いのだ。たとえば、私がこの写真を見て、眼 をつぶる。既に私はこの顔を忘れている。部屋の壁や、 小さい火鉢は思い出す事が出来るけれども、その部屋 の主人公の顔の印象は、すっと霧消して、どうしても、 何としても思い出せない。画にならない顔である。漫 画にも何もならない顔である。眼をひらく。あ、こん な顔だったのか、思い出した、というようなよろこび さえ無い。極端な言い方をすれば、眼をひらいてその 写真を再び見ても、思い出せない。そうして、ただも う不愉快、イライラして、つい眼をそむけたくなる。 所謂 いわゆる 「死相」というものにだって、もっと何か表情 なり印象なりがあるものだろうに、人間のからだに駄 馬の首でもくっつけたなら、こんな感じのものになる であろうか、とにかく、どこという事なく、見る者を して、ぞっとさせ、いやな気持にさせるのだ。私はこ れまで、こんな不思議な男の顔を見た事が、やはり、 いちども無かった。 第一の手記 恥の多い生涯を送って来ました。 自分には、人間の生活というものが、見当つかない のです。自分は東北の田舎に生れましたので、汽車を はじめて見たのは、よほど大きくなってからでした。 自分は停車場のブリッジを、上って、降りて、そうし てそれが線路をまたぎ越えるために造られたものだと いう事には全然気づかず、ただそれは停車場の構内を 外国の遊戯場みたいに、複雑に楽しく、ハイカラにす るためにのみ、設備せられてあるものだとばかり思っ ていました。しかも、かなり永い間そう思っていたの です。ブリッジの上ったり降りたりは、自分にはむし ろ、ずいぶん垢抜 あかぬ けのした遊戯で、それは鉄道のサー ヴィスの中でも、最も気のきいたサーヴィスの一つだ と思っていたのですが、のちにそれはただ旅客が線路 をまたぎ越えるための頗る実利的な階段に過ぎないの を発見して、にわかに興が覚めました。 また、自分は子供の頃、絵本で地下鉄道というもの を見て、これもやはり、実利的な必要から案出せられ たものではなく、地上の車に乗るよりは、地下の車に 乗ったほうが風がわりで面白い遊びだから、とばかり 思っていました。 自分は子供の頃から病弱で、よく寝込みましたが、 寝ながら、敷布、枕のカヴァ、掛蒲団のカヴァを、つ くづく、つまらない装飾だと思い、それが案外に実用 品だった事を、二十歳ちかくになってわかって、人間 のつましさに暗然とし、悲しい思いをしました。 また、自分は、空腹という事を知りませんでした。 いや、それは、自分が衣食住に困らない家に育ったと いう意味ではなく、そんな馬鹿な意味ではなく、自分 には「空腹」という感覚はどんなものだか、さっぱり わからなかったのです。へんな言いかたですが、おな かが空いていても、自分でそれに気がつかないのです。 小学校、中学校、自分が学校から帰って来ると、周囲 の人たちが、それ、おなかが空いたろう、自分たちに も覚えがある、学校から帰って来た時の空腹は全くひ どいからな、甘納豆はどう? カステラも、パンもあ るよ、などと言って騒ぎますので、自分は持ち前のお べっか精神を発揮して、おなかが空いた、と呟いて、 甘納豆を十粒ばかり口にほうり込むのですが、空腹感 とは、どんなものだか、ちっともわかっていやしなかっ たのです。 自分だって、それは勿論 もちろん 、大いにものを食べますが、 しかし、空腹感から、ものを食べた記憶は、ほとんど ありません。めずらしいと思われたものを食べます。 豪華と思われたものを食べます。また、よそへ行って 出されたものも、無理をしてまで、たいてい食べます。 そうして、子供の頃の自分にとって、最も苦痛な時刻 は、実に、自分の家の食事の時間でした。 自分の田舎の家では、十人くらいの家族全部、めい めいのお膳 ぜん を二列に向い合せに並べて、末っ子の自分 は、もちろん一ばん下の座でしたが、その食事の部屋 は薄暗く、昼ごはんの時など、十幾人の家族が、ただ 黙々としてめしを食っている有様には、自分はいつも 肌寒い思いをしました。それに田舎の昔気質 かたぎ の家でし たので、おかずも、たいていきまっていて、めずらし いもの、豪華なもの、そんなものは望むべくもなかっ たので、いよいよ自分は食事の時刻を恐怖しました。 自分はその薄暗い部屋の末席に、寒さにがたがた震え る思いで口にごはんを少量ずつ運び、押し込み、人間 は、どうして一日に三度々々ごはんを食べるのだろう、 実にみな厳粛な顔をして食べている、これも一種の儀 式のようなもので、家族が日に三度々々、時刻をきめ て薄暗い一部屋に集り、お膳を順序正しく並べ、食べ たくなくても無言でごはんを嚙 か みながら、うつむき、 家中にうごめいている霊たちに祈るためのものかも知 れない、とさえ考えた事があるくらいでした。 めしを食べなければ死ぬ、という言葉は、自分の耳 には、ただイヤなおどかしとしか聞えませんでした。 その迷信は、(いまでも自分には、何だか迷信のように 思われてならないのですが)しかし、いつも自分に不 安と恐怖を与えました。人間は、めしを食べなければ 死ぬから、そのために働いて、めしを食べなければな らぬ、という言葉ほど自分にとって難解で 晦渋 かいじゅう で、そ うして脅迫めいた響きを感じさせる言葉は、無かった のです。 つまり自分には、人間の営みというものが未 いま だに何 もわかっていない、という事になりそうです。自分の 幸福の観念と、世のすべての人たちの幸福の観念とが、 まるで食いちがっているような不安、自分はその不安 のために夜々、転輾 てんてん し、呻吟 しんぎん し、発狂しかけた事さえ あります。自分は、いったい幸福なのでしょうか。自 分は小さい時から、実にしばしば、仕合せ者だと人に 言われて来ましたが、自分ではいつも地獄の思いで、 かえって、自分を仕合せ者だと言ったひとたちのほう が、比較にも何もならぬくらいずっとずっと安楽なよ うに自分には見えるのです。 自分には、禍 わざわ いのかたまりが十個あって、その中の 一個でも、隣人が脊負 せ お ったら、その一個だけでも充分 に隣人の生命取りになるのではあるまいかと、思った 事さえありました。 つまり、わからないのです。隣人の苦しみの性質、 程度が、まるで見当つかないのです。プラクテカルな 苦しみ、ただ、めしを食えたらそれで解決できる苦し み、しかし、それこそ最も強い痛苦で、自分の例の十 個の禍いなど、吹っ飛んでしまう程の、凄惨 せいさん な阿鼻地 獄なのかも知れない、それは、わからない、しかし、 それにしては、よく自殺もせず、発狂もせず、政党を 論じ、絶望せず、屈せず生活のたたかいを続けて行け る、苦しくないんじゃないか? エゴイストになり きって、しかもそれを当然の事と確信し、いちども自 分を疑った事が無いんじゃないか? それなら、楽だ、 しかし、人間というものは、皆そんなもので、またそ れで満点なのではないかしら、わからない、……夜は ぐっすり眠り、朝は爽快 そうかい なのかしら、どんな夢を見て いるのだろう、道を歩きながら何を考えているのだろ う、金? まさか、それだけでも無いだろう、人間は、 めしを食うために生きているのだ、という説は聞いた 事があるような気がするけれども、金のために生きて いる、という言葉は、耳にした事が無い、いや、しか し、ことに依ると、……いや、それもわからない、… …考えれば考えるほど、自分には、わからなくなり、 自分ひとり全く変っているような、不安と恐怖に襲わ れるばかりなのです。自分は隣人と、ほとんど会話が 出来ません。何を、どう言ったらいいのか、わからな いのです。 そこで考え出したのは、道化でした。 それは、自分の、人間に対する最後の求愛でした。 自分は、人間を極度に恐れていながら、それでいて、 人間を、どうしても思い切れなかったらしいのです。 そうして自分は、この道化の一線でわずかに人間につ ながる事が出来たのでした。おもてでは、絶えず笑顔 をつくりながらも、内心は必死の、それこそ千番に一 番の兼ね合いとでもいうべき危機一髪の、油汗流して のサーヴィスでした。 自分は子供の頃から、自分の家族の者たちに対して さえ、彼等がどんなに苦しく、またどんな事を考えて 生きているのか、まるでちっとも見当つかず、ただお そろしく、その気まずさに堪える事が出来ず、既に道 化の上手になっていました。つまり、自分は、いつの まにやら、一言も本当の事を言わない子になっていた のです。 その頃の、家族たちと一緒にうつした写真などを見 ると、他の者たちは皆まじめな顔をしているのに、自 分ひとり、必ず奇妙に顔をゆがめて笑っているのです。 これもまた、自分の幼く悲しい道化の一種でした。 また自分は、肉親たちに何か言われて、口応 くちごた えした 事はいちども有りませんでした。そのわずかなおこご とは、自分には霹靂 へきれき の如く強く感ぜられ、狂うみたい になり、口応えどころか、そのおこごとこそ、謂わば 万世一系の人間の「真理」とかいうものに違いない、 自分にはその真理を行う力が無いのだから、もはや人 間と一緒に住めないのではないかしら、と思い込んで しまうのでした。だから自分には、言い争いも自己弁 解も出来ないのでした。人から悪く言われると、いか にも、もっとも、自分がひどい思い違いをしているよ うな気がして来て、いつもその攻撃を黙して受け、内 心、狂うほどの恐怖を感じました。 それは誰でも、人から非難せられたり、怒られたり していい気持がするものでは無いかも知れませんが、 自分は怒っている人間の顔に、獅子 し し よりも鰐 わに よりも竜 よりも、もっとおそろしい動物の本性を見るのです。 ふだんは、その本性をかくしているようですけれども、 何かの機会に、たとえば、牛が草原でおっとりした形 で寝ていて、突如、尻尾 しっぽ でピシッと腹の虻 あぶ を打ち殺す みたいに、不意に人間のおそろしい正体を、怒りに依っ て暴露する様子を見て、自分はいつも髪の逆立つほど の戦慄 せんりつ を覚え、この本性もまた人間の生きて行く資格 の一つなのかも知れないと思えば、ほとんど自分に絶 望を感じるのでした。 人間に対して、いつも恐怖に震いおののき、また、 人間としての自分の言動に、みじんも自信を持てず、 そうして自分ひとりの懊悩 おうのう は胸の中の小箱に秘め、そ の憂鬱、ナアヴァスネスを、ひたかくしに隠して、ひ たすら無邪気の楽天性を装い、自分はお道化たお変人 として、次第に完成されて行きました。 何でもいいから、笑わせておればいいのだ、そうす ると、人間たちは、自分が彼等の所謂「生活」の外に いても、あまりそれを気にしないのではないかしら、 とにかく、彼等人間たちの目障りになってはいけない、 自分は無だ、風だ、空 そら だ、というような思いばかりが 募り、自分はお道化に依って家族を笑わせ、また、家 族よりも、もっと不可解でおそろしい下男や下女にま で、必死のお道化のサーヴィスをしたのです。 自分は夏に、浴衣の下に赤い毛糸のセエターを着て 廊下を歩き、家中の者を笑わせました。めったに笑わ ない長兄も、それを見て噴き出し、 「それあ、葉ちゃん、似合わない」 と、可愛くてたまらないような口調で言いました。 なに、自分だって、真夏に毛糸のセエターを着て歩く ほど、いくら何でも、そんな、暑さ寒さを知らぬお変 人ではありません。姉の脚絆 レギンス を両腕にはめて、浴衣の 袖口から覗かせ、以 もっ てセエターを着ているように見せ かけていたのです。 自分の父は、東京に用事の多いひとでしたので、上 野の桜木町に別荘を持っていて、月の大半は東京のそ の別荘で暮していました。そうして帰る時には家族の 者たち、また親戚 しんせき の者たちにまで、実におびただしく お土産を買って来るのが、まあ、父の趣味みたいなも のでした。 いつかの父の上京の前夜、父は子供たちを客間に集 め、こんど帰る時には、どんなお土産がいいか、一 人々々に笑いながら尋ね、それに対する子供たちの答 をいちいち手帖 てちょう に書きとめるのでした。父が、こんな に子供たちと親しくするのは、めずらしい事でした。 「葉蔵は?」 と聞かれて、自分は、口ごもってしまいました。 何が欲しいと聞かれると、とたんに、何も欲しくな くなるのでした。どうでもいい、どうせ自分を楽しく させてくれるものなんか無いんだという思いが、ちら と動くのです。と、同時に、人から与えられるものを、 どんなに自分の好みに合わなくても、それを拒む事も 出来ませんでした。イヤな事を、イヤと言えず、また、 好きな事も、おずおずと盗むように、極めてにがく 味 あじわ い、そうして言い知れぬ恐怖感にもだえるのでした。 つまり、自分には、二者選一の力さえ無かったのです。 これが、後年に到り、いよいよ自分の所謂「恥の多い 生涯」の、重大な原因ともなる性癖の一つだったよう に思われます。 自分が黙って、もじもじしているので、父はちょっ と不機嫌な顔になり、 「やはり、本か。浅草の仲店にお正月の獅子舞いのお 獅子、子供がかぶって遊ぶのには手頃な大きさのが 売っていたけど、欲しくないか」 欲しくないか、と言われると、もうダメなんです。 お道化た返事も何も出来やしないんです。お道化役者 は、完全に落第でした。 「本が、いいでしょう」 長兄は、まじめな顔をして言いました。 「そうか」 父は、興覚め顔に手帖に書きとめもせず、パチと手 帖を閉じました。 何という失敗、自分は父を怒らせた、父の 復讐 ふくしゅう は、 きっと、おそるべきものに違いない、いまのうちに何 とかして取りかえしのつかぬものか、とその夜、蒲団 の中でがたがた震えながら考え、そっと起きて客間に 行き、父が先刻、手帖をしまい込んだ筈の机の引き出 しをあけて、手帖を取り上げ、パラパラめくって、お 土産の注文記入の個所を見つけ、手帖の鉛筆をなめて、 シシマイ、と書いて寝ました。自分はその獅子舞いの お獅子を、ちっとも欲しくは無かったのです。かえっ て、本のほうがいいくらいでした。けれども、自分は、 父がそのお獅子を自分に買って与えたいのだという事 に気がつき、父のその意向に迎合して、父の機嫌を直 したいばかりに、深夜、客間に忍び込むという冒険を、 敢えておかしたのでした。 そうして、この自分の非常の手段は、果して思いど おりの大成功を以て報いられました。やがて、父は東 京から帰って来て、母に大声で言っているのを、自分 は子供部屋で聞いていました。 「仲店のおもちゃ屋で、この手帖を開いてみたら、こ れ、ここに、シシマイ、と書いてある。これは、私の 字ではない。はてな? と首をかしげて、思い当りま した。これは、葉蔵のいたずらですよ。あいつは、私 が聞いた時には、にやにやして黙っていたが、あとで、 どうしてもお獅子が欲しくてたまらなくなったんだね。 何せ、どうも、あれは、変った坊主ですからね。知ら ん振りして、ちゃんと書いている。そんなに欲しかっ たのなら、そう言えばよいのに。私は、おもちゃ屋の 店先で笑いましたよ。葉蔵を早くここへ呼びなさい」 また一方、自分は、下男や下女たちを洋室に集めて、 下男のひとりに滅茶苦茶 め ち ゃ く ち ゃ にピアノのキイをたたかせ、 (田舎ではありましたが、その家には、たいていのもの が、そろっていました)自分はその出鱈目 で た ら め の曲に合せ て、インデヤンの踊りを踊って見せて、皆を大笑いさ せました。次兄は、フラッシュを焚 た いて、自分のイン デヤン踊りを撮影して、その写真が出来たのを見ると、 自分の腰布(それは更紗 さらさ の風呂敷でした)の合せ目か ら、小さいおチンポが見えていたので、これがまた家 中の大笑いでした。自分にとって、これまた意外の成 功というべきものだったかも知れません。 自分は毎月、新刊の少年雑誌を十冊以上も、とって いて、またその他 ほか にも、さまざまの本を東京から取り 寄せて黙って読んでいましたので、メチャラクチャラ 博士だの、また、ナンジャモンジャ博士などとは、た いへんな馴染 なじみ で、また、怪談、講談、落語、江戸小咄 こばなし などの類にも、かなり通じていましたから、剽軽 ひょうきん な事 をまじめな顔をして言って、家の者たちを笑わせるの には事を欠きませんでした。 しかし、嗚呼 あ あ 、学校! 自分は、そこでは、尊敬されかけていたのです。尊 敬されるという観念もまた、甚 はなは だ自分を、おびえさせ ました。ほとんど完全に近く人をだまして、そうして、 或るひとりの全知全能の者に見破られ、木っ葉みじん にやられて、死ぬる以上の赤恥をかかせられる、それ が、「尊敬される」という状態の自分の定義でありまし た。人間をだまして、「尊敬され」ても、誰かひとりが 知っている、そうして、人間たちも、やがて、そのひ とりから教えられて、だまされた事に気づいた時、そ の時の人間たちの怒り、復讐は、いったい、まあ、ど んなでしょうか。想像してさえ、身の毛がよだつ心地 がするのです。 自分は、金持ちの家に生れたという事よりも、俗に いう「できる」事に依って、学校中の尊敬を得そうに なりました。自分は、子供の頃から病弱で、よく一つ き二つき、また一学年ちかくも寝込んで学校を休んだ 事さえあったのですが、それでも、病み上りのからだ で人力車に乗って学校へ行き、学年末の試験を受けて みると、クラスの誰よりも所謂「できて」いるようで した。からだ具合いのよい時でも、自分は、さっぱり 勉強せず、学校へ行っても授業時間に漫画などを書き、 休憩時間にはそれをクラスの者たちに説明して聞かせ て、笑わせてやりました。また、綴り方には、滑稽噺 こっけいばなし ばかり書き、先生から注意されても、しかし、自分は、 やめませんでした。先生は、実はこっそり自分のその 滑稽噺を楽しみにしている事を自分は、知っていたか らでした。或る日、自分は、れいに依って、自分が母 に連れられて上京の途中の汽車で、おしっこを客車の 通路にある痰壺 たんつぼ にしてしまった失敗談(しかし、その 上京の時に、自分は痰壺と知らずにしたのではありま せんでした。子供の無邪気をてらって、わざと、そう したのでした)を、ことさらに悲しそうな筆致で書い て提出し、先生は、きっと笑うという自信がありまし たので、職員室に引き揚げて行く先生のあとを、そっ とつけて行きましたら、先生は、教室を出るとすぐ、 自分のその綴り方を、他のクラスの者たちの綴り方の 中から選び出し、廊下を歩きながら読みはじめて、ク スクス笑い、やがて職員室にはいって読み終えたのか、 顔を真赤にして大声を挙げて笑い、他の先生に、さっ そくそれを読ませているのを見とどけ、自分は、たい へん満足でした。 お茶目。 自分は、所謂お茶目に見られる事に成功しました。 尊敬される事から、のがれる事に成功しました。通信 簿は全学科とも十点でしたが、操行というものだけは、 七点だったり、六点だったりして、それもまた家中の 大笑いの種でした。 けれども自分の本性は、そんなお茶目さんなどとは、 凡 およ そ対蹠 たいせき 的なものでした。その頃、既に自分は、女中 や下男から、哀 かな しい事を教えられ、犯されていました。 幼少の者に対して、そのような事を行うのは、人間の 行い得る犯罪の中で最も醜悪で下等で、残酷な犯罪だ と、自分はいまでは思っています。しかし、自分は、 忍びました。これでまた一つ、人間の特質を見たとい うような気持さえして、そうして、力無く笑っていま した。もし自分に、本当の事を言う習慣がついていた なら、悪びれず、彼等の犯罪を父や母に訴える事が出 来たのかも知れませんが、しかし、自分は、その父や 母をも全部は理解する事が出来なかったのです。人間 に訴える、自分は、その手段には少しも期待できませ んでした。父に訴えても、母に訴えても、お巡 まわ りに訴 えても、政府に訴えても、結局は世渡りに強い人の、 世間に通りのいい言いぶんに言いまくられるだけの事 では無いかしら。 必ず片手落のあるのが、わかり切っている、所詮 しょせん 、 人間に訴えるのは無駄である、自分はやはり、本当の 事は何も言わず、忍んで、そうしてお道化をつづけて いるより他、無い気持なのでした。 なんだ、人間への不信を言っているのか? へえ? お前はいつクリスチャンになったんだい、と 嘲 笑 ちょうしょう す る人も或いはあるかも知れませんが、しかし、人間へ の不信は、必ずしもすぐに宗教の道に通じているとは 限らないと、自分には思われるのですけど。現にその 嘲笑する人をも含めて、人間は、お ﹅ 互 ﹅ い ﹅ の ﹅ 不 ﹅ 信 ﹅ の ﹅ 中 ﹅ で ﹅ 、 エホバも何も念頭に置かず、平気で生きているではあ りませんか。やはり、自分の幼少の頃の事でありまし たが、父の属していた或る政党の有名人が、この町に 演説に来て、自分は下男たちに連れられて劇場に聞き に行きました。満員で、そうして、この町の特に父と 親しくしている人たちの顔は皆、見えて、大いに拍手 などしていました。演説がすんで、聴衆は雪の夜道を 三々五々かたまって家路に就き、クソミソに今夜の演 説会の悪口を言っているのでした。中には、父と特に 親しい人の声もまじっていました。父の開会の辞も下 手、れいの有名人の演説も何が何やら、わけがわから ぬ、とその所謂父の「同志たち」が怒声に似た口調で 言っているのです。そうしてそのひとたちは、自分の 家に立ち寄って客間に上り込み、今夜の演説会は大成 功だったと、しんから嬉しそうな顔をして父に言って いました。下男たちまで、今夜の演説会はどうだった と母に聞かれ、とても面白かった、と言ってけろりと しているのです。演説会ほど面白くないものはない、 と帰る途々 みちみち 、下男たちが嘆き合っていたのです。 しかし、こんなのは、ほんのささやかな一例に過ぎ ません。互いにあざむき合って、しかもいずれも不思 議に何の傷もつかず、あざむき合っている事にさえ気 がついていないみたいな、実にあざやかな、それこそ 清く明るくほがらかな不信の例が、人間の生活に充満 しているように思われます。けれども、自分には、あ ざむき合っているという事には、さして特別の興味も ありません。自分だって、お道化に依って、朝から晩 まで人間をあざむいているのです。自分は、修身教科 書的な正義とか何とかいう道徳には、あまり関心を持 てないのです。自分には、あざむき合っていながら、 清 ﹅ く ﹅ 明 ﹅ る ﹅ く ﹅ 朗 ﹅ ら ﹅ か ﹅ に ﹅ 生きている、或いは生き得る自信 を持っているみたいな人間が難解なのです。人間は、 ついに自分にその 妙諦 みょうてい を教えてはくれませんでした。 それさえわかったら、自分は、人間をこんなに恐怖し、 また、必死のサーヴィスなどしなくて、すんだのでしょ う。人間の生活と対立してしまって、夜々の地獄のこ れほどの苦しみを嘗 な めずにすんだのでしょう。つまり、 自分が下男下女たちの憎むべきあの犯罪をさえ、誰に も訴えなかったのは、人間への不信からではなく、ま た勿論クリスト主義のためでもなく、人間が、葉蔵と いう自分に対して信用の殻を固く閉じていたからだっ たと思います。父母でさえ、自分にとって難解なもの を、時折、見せる事があったのですから。 そうして、その、誰にも訴えない、自分の孤独の匂 いが、多くの女性に、本能に依って嗅 か ぎ当てられ、後 年さまざま、自分がつけ込まれる誘因の一つになった ような気もするのです。 つまり、自分は、女性にとって、恋の秘密を守れる 男であったというわけなのでした。